本丸より(6)

◆かげろうのように◆

ディノ

 

今の私はきっと、
感情のどれかのブレイカーが落ちているのかもしれないし、
先週のうちに、気が狂うのではないかと思うくらい泣いたから、
感情が麻痺しているのかもしれない。
悲しいとか、つらいという感情が、なんだかぼんやりして、
眠っているみたいに感じている。
ただ、私の涙のタンクはもう、ほとんどからっぽに近いことだけ、
なんとなくわかる。
そして、この2週間ほど、
私から「臭覚」と「味覚」という二つの機能が完全に失われてしまい、
何を口にしても、それがどんな匂いで、どんな味なのか、全然わからなくなっている。

火曜日の午前中、マンハッタンから車を走らせ、
ハーツデールという町の「Pet Cemetery(ペットの墓地)」に向かった。
17日に亡くなったディノを火葬してもらうために。

もうディノは死んでしまっているのに、
17日に病院で姿を見たのが最後だったから、
まるで「また会える」というような、小さな喜びも、ほんの少しあった。

ディノの体は前日に病院から墓地のほうに運ばれていて、
小部屋で待っていると、
ディノが入った「棺」のようなものが運ばれて来て、台の上に置かれた。
ふたが開けられると、白いサテンのシーツをかけられたディノが中にいた。

私は死んだものは魚屋の「魚」ですら、ちょっと気味悪がるほうなのに、
小さな「棺」に眠るように横たわるディノは、そんなこと考える余裕もなく、
まるで生きている時と同じように、頭をなでて名前を呼んだ。

ディノは安置してあったからか、冷蔵庫から出て来たようにひんやりとしていた。
ただ、どこを触ってもひんやりとしていること以外、
まるで生きている時と同じように、ディノの感触だった。

ディノもちょっと泣いたのか、目のあたりに涙が残っていた。
私はもう、これで二度と触れなくなると思うと、
頭をなでたり、耳の毛をきれいにしてやったり、背中をさすったりした。
この「感触」だけは、写真でも映像でも残すことができないと知っているから。

火葬の際、おもちゃでも何でも一緒に入れて焼いてくれるというので、
ディノのお気に入りのおもちゃの中からいくつかの縫いぐるみや、
ボール、それに大好物だった「ニンジン」をディノのまわりに置いた。
そして、センチメンタルだけれども、私の事を忘れないでという想いがあって、
一緒に写った写真も中に入れた。

11年間、どんな時もやすみなく、
私を部屋で出迎えてくれたディノの頭を本当は、ずっと
ずっと、撫で続けていたかった。
その頃からすでに、私の感情のブレーカーはパタンと落ちていたのだろう。
穏やかな気持ちが悲しいということを覆い隠していた。

ディノの体は、この写真の小さな墓地の中の「火葬場」に運ばれ、
おもちゃやニンジンと一緒に、炉の中に入れられるのを確認した。
喜ぶとお尻まで振っていた小さなシッポ、
最後まで結局生え揃うことがなかった背中の毛、
そして横たわった後ろ姿が見えた。

しばらく建物の近くに立って、煙突を眺めていた。
煙りになって天に登るのだろうかと見上げていた。
だけど、そこからは、煙りらしいものは見えず、
曇り空に向かって、ゆらゆらと、ゆらゆらと、
夏の日のかげろうのように、熱い空気が、
ただ静かに、いつまでもいつまでも登っていた。

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